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軍記物
 勞資協調派、無抵抗主義者、人道主義者、等が一刀のもとに退治した唯物史觀の白髮首(しらがくび)とは何であるか? それは古代希臘(ギリシヤ)にさかえた唯物的形而上學である。ターレスやヘラクライトスの原始的唯物哲學は、その後幾度か時代の衣をつけて各時代に出現した。最近に於ける自然科學の發達はエネルギーの概念を發達せしめ、オストワルドの如きは物質概念を捨ててエネルギー一元論を唱えた。唯物的形而上學が舊衣をすてて十九世紀乃至(ないし)二十世紀の新衣と着更えたのである。
 ところが此等のメタフィジシァンは、宇宙の實體或は本體は何であるか? という問題を解こうとしたのである。而してこれに對しては希臘時代にはプラトーンやアリストテレスが、近世にはカントが、最近には新カント派が既にそれぞれ解決を與えている。今日では哲學は知識の問題に、科學は物理的世界の問題に自己の職能を局限して宇宙の究極的實體というような問題には觸れない。唯物史觀は多くの批難者がいうように形而上學ではなくて形而上學に對する死刑執行人の一人なのだ。
 近世の文化的教養を受け、精神主義の福音(ふくいん)に醉わされた人々は攻撃の相手を見失つた。尤(もつと)もまだ「綜合文化」というような怪物をかかげて「今の科學者は物質萬能で人生を解しない」などという批難をする者がある。併しながら科學は本來物的現象の學問である。物的現象を支配するものは物的法則のみである。科學者が物質の研究をしているから物質萬能だなどという批難は少くも地上では通用しないのである。
 唯物史觀によれば社會の一切の現象は進化する。唯物史觀の哲學は進化の哲學である。而してこの進化はヘーゲルがやつたように思惟や觀念の進化から説明することは出來ぬ。反對に思惟や觀念の進化は物質的進化の反映であり、物質的進化に對應する。物質的條件、即ち生産關係が行き詰つてその内部の革命的要素が活溌に發展する時には社會の意識形態は革命的となる。十八世紀や今日がそれである。物質的條件が完全に一階級の支配に統一されている時は社會の意識形態は平衡を保つて所謂(いわゆる)平和思想が瀰漫(びまん)する。十九世紀がそれである。日本では明治維新時代や源平時代や戰國時代が革命的時代であつた。元祿時代や明治時代が平和時代であつた。而してその都度文學もそれに對應して進化した。源平時代の軍記物には貴族に對する武士階級の革命的思想が現われ、維新前後の志士の言論には行き詰つた封建制度に對する新興階級の革命的思想が現われている。
 明治文學、革命的ブルジョア文學のチャンピオンであつた坪内逍遙の「小説神髓」には文學が勸善懲惡から獨立すべきことが強調してある。この場合勸善懲惡は絶對的意味をもつているものでない。善は封建制度の善であり、惡は封建制度の惡である。そこで封建制度が亡びてしまえばこの種の勸善懲惡はもう意味をなさぬ。「小説神髓」は文學に於ける封建社會の殘滓(ざんし)に死刑の宣告を與え、ブルジョア自由主義をこれに代えたものであつた。

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